コインランドリーで失踪

𓅰 yo.fujii.hitohitsuji@gmail.com

傷病手当金の振込はなぜ遅いのか

この文章は「休職して傷病手当を申請したけど、いつ入金されるのか謎」「いつまで経っても審査結果の通知が来ない」と思っている方を対象としていますが、そこまで大した内容を記載しているわけではないので話半分に読んでください。

ネットで「傷病手当 審査」などと調べると、大体「遅い」というサジェストが出てきます。情報も乏しく、初回の審査完了&入金には1〜2ヶ月ほど、2回目以降は2週間〜1ヶ月ほどかかるという情報だけがまとめサイトで表示されます。振込予定日も公開されていないことが多いです。

体感的には、実際はもっと待たされます。休職中はただでさえ余裕がないので、この待ちぼうけがとても精神に悪いです。限界まで働き力尽きて休職といったケースでは、労働に耐えるため生活コストが嵩んだ結果として貯金がほとんどない状態で休職に突入、といった状態に陥っていることもあるかと思うので尚更辛いでしょう(私はそうでした)。ここでメモしているのはあくまで私個人の体験談です。しかし、漠然と何が何だか分からない状態で待ち続けるのと、何にどのくらい工数がかかり待たされているのかなんとなく分かった状態で耐え忍ぶのとでは、掛かってくるストレスが変わるかと思いますので、何かの参考になればと思い書き残しておきます。傷病手当の入金手続きにかかった期間について重点的に書きますので、その他の疑問はネットで検索して別の記事を参照してください。

 

【筆者について】

・新卒で1年ほど働き2022年4月から休職

・元勤務先は関東ITソフトウェア健康保険組合に加入の中小企業

・休職は最大3ヶ月可能な職場で、7月まで休職したのち休職期間満了により自然退職

・元勤務先の事務はどちらかといえば迅速な方

 

まず、私の話をしますと4月20日付で限界が来て休職することになりました。この時点で保険加入期間は1年以上だったため、傷病手当金の申請資格がありました。休職に入る前に傷病手当申請についての説明を受け労務から「審査には2ヶ月ほど掛かる」旨を聞きました。幸い、通院していたクリニックの予約が4月23日に取得できたため、その日に診断書を書いてもらいました。次の診察を5月11日に取得。後日、会社から傷病手当申請用書類と返送用封筒が届きました。申請用書類には「自分が記入する欄」「主治医が記入する欄」「勤務先が記入する欄」があります。これら3つを照会して、本当に休職しているのか、不正受給ではないのか、傷病手当を支給する必要が本当にあるのか、を健保側で審査しているものと思われます。

参考までに、ITSの傷病手当について説明されたページを貼っておきます(申請書類はpdf形式で見ることができます)。

5月11日の診察時に、医師へ「4月分申請書類」を渡しました。次の診察は2週間後で、5月25日にクリニックから「4月分申請書類」を受け取ります。ここで注意が必要なのが、5月25日に「5月分申請書類」を医師から受け取ろうとすると、医師が証明できる「5月の私が働けなかった期間」は5月1日から5月25日になってしまうことです。未来については誰も分からないので、次の月にならなければ、前月丸々働けなかったことを証明することはできません。そのため、医師が記入する「5月分申請書類」は6月に入ってからの通院で受け取る必要があります。

5月25日に受け取った「4月分申請書類」は、自分で記入する欄と併せて勤務先へ郵送します。書類が届いたら労務が「勤務先が記入する欄」を埋めて、全ての書類をまとめて健保へ送付します。健保へ届けられた書類はそこから審査に回され、無事申請が通れば定められた入金日に振り込まれます。

ちなみに、会社に在籍している4月から7月分の申請書類は「勤務先が記入する欄」の記入が必要で、手当金の振込も勤務先を介して行われます。8月からは既に退職して勤務先に在籍していないため、「自分が記入する欄」「医師が記入する欄」の2箇所のみを埋め、自分の手で健保へ郵送します。

また、あくまで関東ITソフトウェア健康保険組合についてですが、ネット上で「入金日は毎月10日・20日・末日である」という情報が見られます。公式に情報公開されているわけではありませんが、実際にIT健保からの支給決定通知や入金を経験した限りでは、この情報は信憑性が高いと思います。

以上の流れを1ヶ月ごとに繰り返します。時系列で申請の流れをまとめておきます。

 

4月分

・4月20日 休職開始

・4月23日 クリニックから適応障害の診断書をもらう

・5月11日 勤務先から申請書類を受け取ったので、通院時にクリニックへ申請書を渡し記入を依頼する

・5月25日 クリニックから医師記入済申請書類を受け取る。自分で記入したものと合わせて勤務先へ郵送(以後、勤務先で記入のち健保へ送付)

・7月21日 健保から支給決定通知が届く

 

このように、勤務先へ提出してから約2ヶ月ほどで初回の支給決定通知が届きました。しかし、実際に休職が開始された日を起点とすると、支給決定までに3ヶ月かかったことになります。元勤務先は最大3ヶ月までしか休職ができない決まりだったので私は7月20日付で退職しており、支給決定通知が届いたのは退職後となってしまいました。

ちなみに4月は休職を開始した4月20日から4月30日までの期間が支給対象であるうえ、4月分給与が勤務先から振り込まれていたため、足りない差額分のみの支給となり、5月分の社会保険料で相殺されマイナスでした。そのため、無給で耐えなければならない期間が2ヶ月発生しました。

 

5月分

・6月8日 クリニックへ5月分申請書類を渡す

・6月22日 クリニックから5月分申請書類を受け取る

・6月23日 勤務先へ郵送

・7月29日 5月分社会保険料(相殺できなかった分)+6月分社会保険料が天引きされた支給金額が勤務先から振り込まれる

 

4月分は差し引きマイナスだったため、実際の入金は7月29日が初めてでした。こちらも、約1ヶ月で通知が届いています。5月分支給決定通知ですが、届いたのは入金の2日前で、もっと早くに分かれば良いのになと思ったのをよく覚えています。

 

6月分

・7月6日 クリニックへ6月分申請書類を渡す

・7月27日 クリニックから6月分申請書類を受け取る、勤務先へ郵送

・8月22日ごろ 勤務先から健保へ郵送?

・9月12日現在 未入金

 

勤務先へ郵送したのが7月末だったため、8月末の入金を見込んでいましたが音沙汰がありませんでした。9月7日に健保へ問い合わせたところ、6月分申請書類が受理されたのは8月末だと言われ、元勤務先から1ヶ月ほど書類が郵送されていないことが判明しました。元勤務先へ問い合わせてみたところ、「社労士による書類確認が必要となるため、時期によっては健保への送付が前後することがある」と回答をいただきました。そのため、6月分の入金は最短で9月20日になるのではないかと見込んでいます。7月29日から入金が途切れているため、1ヶ月半ほど無収入となります。

 

7月分

・7月27日 あらかじめクリニックへ7月分申請書類を渡す

・8月17日 クリニックから7月分申請書類を受け取る、勤務先へ郵送

・9月7日 勤務先から健保へ郵送

・9月12日現在 未入金

 

【2022.10.14更新】

・10月7日に支給する旨の通知が届きました

・10月12日になっても振り込まれなかったので、元勤務先に「これって貴社からの振込になりますかね?」と確認のメールを送ったところ、次の日に振り込まれた。忘れられていたと思われる

 

7月分申請書類については、健保に問い合わせた9月7日時点で未受理でした。元勤務先に問い合わせたところ、ちょうど9月7日付で健保へ郵送されたとのことなので、10月10日入金を見込んでいます。

 

8月分

・8月17日 あらかじめクリニックへ8月分申請書類を渡す

・9月7日 クリニックから8月分申請書類を受け取る、勤務先を介さず自身で健保へ郵送

【2022.10.14更新】

・10月7日に支給する旨の通知が届きました

・即日健保から振り込まれました

 

8月分からは、「自分で記入する欄」と「主治医が記入する欄」のみを埋めれば良いので、通院して書類を受け取ったら直接健保へ郵送できるようになりました。そのため、勤務先経由で送付された7月分と、9月7日に自分で送付した8月分の入金日が同じになるかもしれません(健保に問い合わせたところ、手続き日が被ればそうなる可能性もあります、とのことでした)。

 

なんとなく察しはつくかと思いますが、以上の情報から「傷病手当金の振込はなぜ遅いのか」まとめます。

 

・1つの書類に関わっている人間が多すぎる

傷病手当金自体の振込日が固定されている

 

まあ、これに尽きます。

どうしようもないことですが、4月の書類をクリニックから受け取れるのは5月に入ってからです。私の場合、通院日は大体2〜3週間おきだったのでタイミングによっては、中旬に入ってからでないと前月の書類を受け取れないこともありました。もしかするとクリニックによってはお願いすれば月初のタイミングで郵送してくれることもあるかもしれませんが、基本的には次回通院時の受け取りになりますので、コントロールは効きにくいです。

また、元勤務先に問い合わせて初めて知った(というか見落としていた)のですが、企業は傷病手当申請書類等の内容確認を社労士に委託していることが多いです。そのため、「勤務先に書類が到着→労務が書類を記入→社労士に内容確認→送付」というフローが発生します。社労士に頼めるタイミングを運悪く逃してしまうと、勤務先へ書類が届いてから1ヶ月ほどそのままになってしまうこともあるのでしょう(幸い在籍時の印象ではバックオフィスの方々は事務手続きが迅速でした。会社によっては嫌がらせをされたり、そもそも手続きに慣れておらず申請が遅れてしまう、言わないとやってもらえないといったこともあるかもしれません、悲しいことですが)。

健保に届いてからの審査期間は約1ヶ月でほぼ固定っぽい気がします。

つまり、ひと月分の手続きが完了するのに以下の工数がかかることがわかります。通院タイミングでの書類受け取りに2〜4週間、会社に送付してから健保に申請が送付されるまでに即日〜4週間、健保での審査が4週間、そして振り込みタイミングは月3回。ということで、このタイミングがことごとく噛み合わないと「傷病手当の申請をしたのに2〜3ヶ月音沙汰がない」という事象が発生します。仕方がないこととはいえ無職には辛いです。

 

以上となります。事実の列挙のみで解決策などは特に提示できず、今から傷病手当を申請するあるいは今休職を考えている、という人には絶望感を与える記事になってしまったかもしれません。しかし、冒頭にも書いたとおり、訳も分からず待たされるのと、原因がある程度分かった上で待たされるのとでは受けるダメージも異なるかと思いますので、あくまで個人の例ですが参考になればと思います。

 

 

ヤフオクで鳩の謎を追った

ここ最近、ヤフオクを見るのにハマっている。

最初は「ちょうどいい花瓶がほしいな」という軽い動機で覗いてみたのだが、Twitter中毒の人間が足を突っ込むべきではなかった。無限にポップし続ける珍奇な商品の数々……スクロール、そしてスクロール。目が楽し〜。数時間は余裕で見続けてしまう。GAFA許せねぇな。

「鳥 置物 ビンテージ」で検索したもの。

3点はどれも北欧ビンテージ。北欧には抽象的な鳥が多いようで大変好ましい。こんなにかわいい顔をしているが、すべて数万円超えの高嶺の鳥さんたちである。

このように、たいてい「○○ ビンテージ」「○○ アンティーク」等で検索すると、味のある品物がずらりと出てくるので見ていて飽きない。

私は無類の鳥好きなので、その日も「鳥 アンティーク」と検索し、ぎっしり陳列された古き良き鳥たちを無心で鑑賞していた。

ふ、ふーん。かわいいじゃん…。

なんかあった。「コレクション 昭和 レトロ アンティーク 置物 飾り 金属製 鳥」。そっけねー。見たらわかりますよ。でも500円なのか…。いままで数万超えの鳥さんばかりを見続けていたので非常に安く感じる。

メジャー助かります

胸の感じからして鳩だろうか。ちょっとドヤ顔しているようでかわいい。突然自己紹介を始めるが、私、藤井佯は造鳩會という文芸サークルを運営している。つまり鳩を造っている人間なので、鳩を見ると「オッ」と心の隅に意識してしまうのだ。ふと思い出したのが、昨年文学フリマ東京に初出展したときのこと。勝手がわからず現金トレーの用意を忘れてしまった。とりあえず手元にあった缶のフタで代用したのだが、これがとにかく使いづらい。小銭がフチに引っかかって全然取れない。今年も出展予定なので、今度こそちゃんとしたトレーを用意していかなきゃ……。

 

これちょうどいいじゃん。造鳩會だし、鳩だし。安いし。かわいいし。現金トレーではないけど。

 

ということで入札しました。ワクワクです。

トレー表面の一部を拡大したもの

細部をよく見てみる。上の方に鳥の足跡のようなものが施されており、大満足スマイル。下は、作家のサインだろうか?米に丸印のように見える。サインを見てパッと「これは○○の作品ですな……」と分かる人もいるのだろうが、私は当然ど素人なのでさっぱりだ。そもそも全く無名の作家の可能性のほうが高い。

裏面の画像もあったのでそちらも併せて確認することにする。

トレー裏面

んんん?なんらかのマークと建物が彫られていた。何かの記念品だったのだろうか。

説明文には下記のように記されていた。

当方詳しくないため、素材等商品に関しての詳細は不明です。不明な点も多いため、ジャンク扱いにてお願いいたします。

 

ふーん。

……ふーん。

……。

……気になるじゃん。

 

少し前にネトストの記事が話題になっていたが、私もそういった特定遊びが嫌いかと言われれば嘘になる。一度何かが気になり始めると納得するまでググってしまうし、友人宅住所をSNSに投稿された画像から特定したこともある。

 

というわけで、このトレーの正体特定を試みることにした。

 

現状わかっていることを整理する。

・おそらく何らかの記念品

・米に丸印をサインとする作家の作品

・桜のマークが刻まれている

・なんか窓いっぱいの立派な建物に関連している

桜って「公」っぽいですよね

立派だなぁ

桜のマークがあると、まず公的機関かな?と思ってしまう。とりあえず「桜 校章」「桜 紋章」などでググってみるも何もヒットせず。あまりに雑な検索なので仕方がないと思うが、現状「公的機関のマークっぽい」という手がかりしかないので、どう調べたものかさっそく途方に暮れる。

では建物の方はどうだろうか。最低でも7階ほどフロアがありそうなので、そんなに昔の建築物ではないのではないかと推測できる。昭和、それも戦後とかではないか。しかしこちらもこれといって検索をかけやすい特徴がないので難しい。

 

うんうん唸りながら画像とにらめっこし続ける。やはり、いくらインターネットが発達しているとしても手がかりが少なすぎる。無謀なのだろうか。

画質…

今のところ希望が持てそうなのが桜マークなので、限界まで拡大し睨み続けること30分。

 

……?

 

いや、あれ?

 

これ、井桁に三じゃね?

 

????????

公的機関ではない?三井グループか!?

 

脳汁ドバー。

 

最高最高最高!!!!

 

それにしても、桜マークの中に三井のシンボルマークとはどういうことだろうか。聞いたことがない。

早速、Googleの検索窓に「三井 桜マーク」と打ち込む。出ない。片っ端から三井グループの会社名+桜マークで検索をかける。そして……。

ありがとう鉄道歴史解説ニキ!

きた〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

三井銀行 桜マーク」の画像検索でついにヒット!

angelusturpis.blog9.fc2.com相鉄と東急の歴史について解説してくれた見知らぬ人、ありがとう……。

 

三井銀行Wikipediaによると、

行章は三井両替店開業時から1943年昭和18年)までは三井財閥共通の「丸に井桁三」を使用。帝国銀行発足後「八重桜」となり、1954年(昭和29年)以降はこの八重桜に「井桁三」を重ねた意匠となった。創業100年を迎えた1976年(昭和51年)に「丸に井桁三」に戻すが、1984年(昭和59年)以降はCIを導入し、青地に白で楕円に「三」の字を基調としたマーク(作成・五十嵐威暢[1]を使用した。便宜的な略称は三銀(さんぎん)であり、子会社名などに使われた。 

とある。

日本最初の株式会社である第一銀行と、三井グループの中核であった三井銀行が合併し帝国銀行となるも、派閥争いで解散。その後、1948年に旧三井銀行・旧十五銀行系の(新)帝国銀行が発足。なんやかんやあって1954年に再び「三井銀行」に改称。行章も「八重桜に井桁三を重ねた」意匠になった、ということらしい。ややこしい。

 

そして、Wikipediaには見覚えのある建物が……。

なんか窓いっぱいの立派な建物!なんか窓いっぱいの立派な建物じゃないか!

日比谷三井ビルディングと判明

完全に一致。
脳汁ドバー2(ツー)。

こんなに上手く物事が進んでいいのか?何かの罠じゃないか?

日比谷三井ビルディングは1960年に完成した三井不動産の物件で、三井銀行本店が入居していた。東京都千代田区有楽町一丁目1-2という無茶苦茶な立地だったようだ。

すべて繋がっちまったなあ!!!!

 

とりあえず、このトレーは「三井銀行と日比谷三井ビルディングに関連する何か」の記念品であることはほぼ確定で良いのではないだろうか。

ロマン

ちなみに、このトレーがつくられた時期も少し絞ることができる。

三井銀行の行章が「八重桜に井桁三を重ねた」意匠であった時期は1954年から1976年である。さらに、日比谷三井ビルディングが完成したのは1960年のため、このトレーは1960年から1976年の間のどこかでつくられたものだといえるだろう。

 

ここまでにわかったことをまとめる。

・トレーは「八重桜に井桁三を重ねた」行章を使用していた時期の三井銀行の記念品であると考えられる

・トレー裏面に描かれている建物は、1960年に完成した日比谷三井ビルディングである

・トレーは1960年から1976年の間のどこかで制作された

 

あ〜〜〜〜すっきりした〜〜〜〜〜〜!

 

 

……。

 

いや、何か忘れていないだろうか。

 

そう、まだ「鳩さんを彫った人」がわからない。

天下の三井銀行さまが配布する記念品なのだから、著名な作家を起用している確率も高い。頑張れば特定できるのでは……?

無理でした。

 

いや、まだ諦めてはない。諦めてはいないんですけど……ちょっと。

米に丸印で作家を絞る、というのがかなり困難。私がなんでも鑑定団ではなかったばっかりにこんな……。

それからさらに格闘するも、一時休戦となった。

脳が疲れたので…。

 

 

ここ最近、ヤフオクを見るのにハマっている。

こういう、脳が疲れているときはぼーっと眺められるヤフオクの画面が染みるんですよね…。

あーあ疲れた。

さて、「鳩」の検索結果でも眺めて癒やされるか……。

 

箱入りエディション

!?

 

がっつり「菊池一雄」やん!!!!

ほんとだ「一雄作」って箱に書いとる!!!!!!

えーーーー。

 

菊池一雄といえば、広島の平和記念公園に設置されている『原爆の子の像』を手掛けた彫刻家である。でっけーじゃん…。

 

というか、本来は共箱入だったのですね。上品だぜ。

「記念品のようで裏に校章のような彫りと建物の彫りがあります」

やっぱり学校だと思いますよね!?私もいっときその線でめっちゃ頑張ったんですよ……。

そして、この出品者も「三井銀行の記念品である」ということは把握していないことが判明。こういう優越感はなんだか危うくて酔いそうになりますね。

鳩さんに癒やされようという下心で偶然発見した情報だが、これは私の日頃の行いの成果だといえるだろう。

それでは、わかったことを再度まとめる。

 

・トレーは「八重桜に井桁三を重ねた」行章を使用していた時期の三井銀行の記念品であると考えられる

・トレー裏面に描かれている建物は、1960年に完成した日比谷三井ビルディングである

・トレーは1960年から1976年の間のどこかで制作された

・鳩のレリーフの制作者は菊池一雄である

 

き、きもちぇぇ〜〜〜〜!!

 

高名であらせられる

さて、新たに見つけた出品情報に、共箱に同封されていた菊池一雄の略歴の画像が掲載されていた。ここから、トレーの制作時期をさらに絞ることができるのではないか。ここまできたんだ。やってやらぁ!

 

菊池一雄が、東京芸術大学と京都美術大学教授だった時期はWikipediaから1952年から1976年であることが判明した。さらに、東京文化財研究所アーカイブに下記の記述を発見。

また、同24年刊行した著書『ロダン』で、翌25年度毎日出版文化賞を受ける。

菊池一雄 :: 東文研アーカイブデータベース

 

ここで書かれている年は和暦である。つまり同24年というのは1949年。紙には「著書に"ロダン"がある」と書かれているので少なくともそれ以降につくられた略歴であることがわかる。この要領で年が絞れないか試していく。

すると、『原爆の子の像』の完成年が1958年で最も新しかった。

 

・トレーは1960年から1976年の間のどこかで制作された

 

 

……結局絞れなかった。まぁよしとしよう。

 

 

さて、最後に「何の記念品なのか」についてだが、これは調べてもわからなかった。そのため、今から書くのはあくまで私の推測である。

 

トレーがつくられた年代、1960年から1976年の間で三井銀行と日比谷三井ビルディングにとって祝うに値しそうな出来事を列挙してみた。

・1960年 日比谷三井ビルディング完成、三井銀行ビル入居

・1962年 日比谷三井ビルディング第3回BCS賞受賞

・1968年 東都銀行合併

・1970年 日比谷三井ビルディング10周年

この中ではやはり「日比谷三井ビルディング完成、三井銀行ビル入居」が一番しっくりくるお祝い内容な気がする。

というわけで私の結論としては、下記の通り。

 

1960年、日比谷三井ビルディングが完成し三井銀行が入居した際の記念品として菊池一雄に依頼し、鳩のレリーフがあしらわれた銅製のトレーが制作された。記念品のため当時の三井銀行の行章と日比谷三井ビルディングの姿が裏面に彫られている。

 

いかがでしょうか!実際のところは分かりませんが、もう満足したのでこれ以上はいいです。

いやー!楽しかった。良い暇つぶしでした。

ようこそ我が家へ!

そして無事に鳩さんを500円で落札することに成功しました。我が家へやってくるのが楽しみです。

今年11月20日文学フリマ東京35では、造鳩會の一員である私、藤井佯がこの鳩さんを現金トレーとして活用しようと思います。

 

最後に、去年発行した造鳩會の文芸誌でも見ていってください。

zo-q-kai.booth.pm

異界を觀相し、そのあわいに佇むこと。執筆者が観相するそれぞれの異界、それぞれの手触りを、小説・詩・短歌・日記・論考を通じて届ける文芸誌です。在庫僅少ですが、よろしくお願いします。面白さは保証します。

 

 

ここまで書いて、今日は鳩の日(8月10日)だったなと気づきました。やはり、鳩とは何か縁があるようです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

追記

記事公開後、フォロワーの方から「新築記念で確定ぽいです」と下記リンクをいただきました。やったー!完クリですね。ありがとうございます。

page.auctions.yahoo.co.jp

 

また、トレー表面の「鳥の足型&米に丸印」ですが、これよくよく考えたら菊池一雄の「菊」の字の装飾文字ですね。い、粋なことを……。私に雅な心が足りないばっかりにこんな……。

 

ありがとうございました。

水が落ちることについて

春の嵐を見ていた。
どうすれば近く、自分の、自分を見つめる自分、絶えず自己批判を繰り返す自分を切り離して、頭に浮かぶものをすべて書き出してゆけるのか。
手書きの文字のあのこそばゆさはなにか、いつから自分を自分で監視しているのか。
千葉雅也の現代思想入門を読んだ、こうした本がほしかった。入門書の入門書。新たなる古代人という話は面白かった。
某人から突然短歌が送られてきた。とても良かった。美しい歌だった、喉がこそばゆい感じ、心がはねている。春の雨、冷たさ、言葉で感想を伝えることはこんなにも難しく、むしろ何も言わないでおいたほうが良いのではないかとすら思ってしまう。自分にすら秘密にしておきたい歌の良さを感じている。分析を、解体を、していくのではなく、純粋に、よろこびをもって、作品を味わうこと。豊かさとは何か、SNSから離れる贅沢を思う、しばらくSNSに流れる感想を見ることを控えようかと思う。藤本タツキの新作が公開されたらしい。ルックバックにも雨の描写があったなと思い出す。恵みの雨。ああした雨について最近は考えている。ひらやすみのヒロトくん、水槽の暗さ。水、水について考えている。春だから、漫画の見開き1ページの美しい絵画たちについて考えている。ひらやすみ2巻の見開きについては、早く印刷をする必要がある。A3で、ネットプリントをしようと思う。おなかがすいてきて、いつも何を食べるべきかで困っている。何も食べたくないのだが、せっかく食べるのであればその期に及んでは味気ないものを食べることができない。贅沢なのかもしれない。祝祭。大安吉日。ちゃんとしている。歌に込められた色彩で。黒と赤で。死人の婚礼、道端に落とされた亡き娘からの手紙を連想する。それは。私が勝手につなげているのだと思う。私が私の記憶の中から勝手に星座を繕っている。豊かであること。逸脱をすること。出口。出口を探している。現代思想入門を読んだ印象としては、哲学は出口を探している。現実界というのは原典だと感じる。それをあるがままに見ること、発狂を伴う作業。「あるとは別の仕方で」ということ。言葉の表面にだけ触れていて、その意味するところを初めて知った。うれしい。本を読むと文字がいっぱい並んでいると嬉しい。そこには秩序があるからなのだと思う。私にはエクリチュールのほうが愛しやすくて、いつも話される言葉の間には距離がある。すぐに、本で使われていた言葉を使う。とてもとても長い旅路でした。売店でアイスクリームを食べた。旅が続くので食べたのです。そこは、青々としたライトが宙吊りになって清潔な白い枠の窓ガラスを照らしていて、なんだかあまり美味しくなさそうに見える。アイスがつめたくて、余計に寒々しい。それに、完璧に隙のない、コスチューム姿の化粧をばっちりと決めた女が(その後、デートでも予定していない限り、アイスの売店の軒先で、そんなに美しい顔をさらすことはないと感じるほどで)、けだるそうにアイスをみちみちと容器へつめる。とても固い、半球ではない、容器の形そのままにアイスクリームが詰まっている。さて、あなたはどうする? 雨に私の顔は映っているのだろうか。一瞬のことだから見逃しているだけで、この世の雨のすべてが、その粒の360度周辺をうつしとっている、そうしたら、そうであればきっと写したものの数だけその身が重くなって、ついには地面に激突する。跳ねて抵抗する、せめてもの、弔い。雨に紫煙。もや、きり。それらはすべて、弔いをやっている。どうしても、伝えなければならないことがなくて、なかったために青年は転び泥まみれとなって、手紙はただ雨をしとしと、吸収したそばから真っ黒なインクが柔らかく、ねぎらうように溶かされていき、こうしたときには雨の延命がなされたといってもよい。雨の延命はいたるところで、それでも雨は朧気でいつ消えてもおかしくないものであるから、いまはアイスクリームのカップに、神経質なことにそのカップは真四角の形をしていて、そこへ雨がただ、ざあざあ、はじかれながら、ざあざあ、かたさはなく、不快な湿り気。カップから少しずつ雨が濾過されてゆき、それは雫と呼ばれるものになり、そこでようやく、女が、退屈そうに見上げる雲の上。実際彼女は、空ではなく。雲、そしてさらにその先に雨を降らす何者かがいるように感じていて、そいつを睨みつけている。ちょうどそのころ睨まれていたのは快晴のなか順調にフライトする旅客機で、そこでは雲海を見、そこに降り立つことさえできればという考えでヘッドフォンを耳に当てている人の群れ。地震があったとして。そこから花壇のほうへと出ました。だって、川の様子は見に行くべきでないにしても、私の庭。その庭は、私に確認してもらう必要があるものなのです。相変わらず、洗濯竿が錆びていました。錆びて空いた穴に、子供らがいれたと思われる、砂。砂、砂の城。サーと音を立て、砂の上へ書いた文字はすぐにかき消された。そういうことなのです。砂の文字がはかないように、そうして移ろってゆくものへ、そのための短冊。流れてゆく竹の節。いずれ、ここに、色とりどりのお弁当をつめて、そのときには呼んでほしいのです。あっさりとしただし巻き卵をつくりましょう。熱は料理の熱だけで十分ですから、ゴボウの土をはやく落としておいてくださいね。飛べません、飛べないのです。それでも大丈夫ではあります。いえ、大丈夫です。無理をしているわけではありません、私は鳥で、鳥だからこそいま飛べないということへ安堵している。私は過剰性を注入された、私は鳥としては失敗作の烙印を押された存在でいつも群れの最後から3番目ほどを飛んでおりました、しんがりをつとめるのはその、優秀な鳥である、ものですから。確かにありました。それは春の嵐です。よくあることでしょう。私たちは離ればなれにならないよう、精一杯叫びましたが、ええ、鳥が叫ぶのはそういうためです、それでも嵐が冷たい雨へと変わる頃には、私はこのバーガーショップの生け垣でじっとしていたというわけでして、そこへ群れの皆は一羽たりとて見かけなくなりました。鳥はそういうこともあって、群れであれば群れで、ひとりになればもうそれはひとりです。さて、とポテトをついばむのですが、どうにもそれでは飛ぶことができない。けれど、ポテトをついばむこと以外に、鳥にとって大切なことってあるのでしょうか。若い皆様にはぜひともそのあたりを検討していただきたい。ありがとうございます。一度もミスタイプせず書ける「ありがとうございます」。これからどうやって、鳥をしていこうか。本当はこんなところにはいたくないし、もっと自分と距離を置きたいと思っている。

この文章はなんだ。これを私にどうしろというのか。私の打鍵の快楽だけにうち捨てられる文章なのか? そんなことが許されるとでも思っているのか? 外の世界に、何かあったとしてどうするつもりか。出口は見つけなければならない。しかし、その出口を使うことは正しいと思えるか。ある学会報告にて発表されたように、自由ではない、出口を探さなければならないのだ。朝、4時になって、ひとが、換気扇をブオンブオンと鳴らしながら生きているということ、雨の恵みを得、大変にめでたい状態にあること。娘は殺されてしまったのでしょうか、ご検討ください。
さあ、いつも、春で、眠りに落ちていて、頭を覚醒させておきたい。いつも私の脳は寝ていて。仕事のときは、オートモードでの迎撃となるため、頭の覚醒した自分は裏で控えている。おそらくはずっと出てこない。陳列台のメロンパン。セブンイレブンのメロンパンが一番美味しい。そうでもしなければ覚醒した脳に依頼をするのは難しい。以後、気をつけるように。そこで働いているあなたと、いま寝そべって無垢の思惟へおり、たすけをださないあなた。そうだ、あなたが働いているわけではないとしたらどうだろう、貸しているだけだ。危険かもしれないが、あなたはあなたを貸しているだけ、ゆめゆめあんなもので傷ついたり動揺する必要はない。しかしだからこそそれが、難しい。
花を圧縮した。あとはよろしくおねがいします。よろしくおねがいしますをミスタイプせず書くことができるということについて、大激論。朝、雨、雲、空気の清々しさ。
水墨画を完成させよう最後まで、煙がくゆる、その一瞬のうちに拡大し縮小されるゆがみ、ゆらぎ。その難しさを見届ける。ありがとうございます。あとはよろしくおねがいします。

海へ至る

 久々に日記を書いてみようと思う。と言っても、実は日記自体はほぼ毎日つけていて、日記をこうした形で公開するのが久々ということだ。私は見た景色をあまりにもそのまま書いてしまうので、大学を卒業してからは日記を公開するのを控えていた。少し前、ある人から「最近、日記書いてくれないですね」と言われたのだが、そんなに読まれるものでもないし読んでも楽しくないだろうと思っていたので驚いた(以前はnoteに毎日、もしくは週ごとに書いたりしていた)。今日は気分が乗っているのでこうして公開するが、次はいつになるか分からない。

 

 水曜日は、毎週休みにした方が良いと感じる。何度寝かを経て昼に起床する。しばらくぼーっとしていたが、腹が減って動けなくなる気配を感じたので、何か食べに行くことにした。1ヶ月ほど台所は使い物にならなくて、ここしばらく家にいる時はカップ麺かゼリーか羊羹かしか口にしていない。あとは、コンビニで何か買ってくるか。生活は回っているとは言えなくて、ダンボールやら紙くずやらで部屋に足の踏み場はないし、常に体調は悪い。適当に着替えを済ませて家を出る。

 一ヶ月ほど前、小説を書き上げた。私は鳥が大好きで、今回はヘビクイワシという美しい鳥を登場させた。私は知らない土地を書くのが苦手なので、小説の舞台は自分がある程度知っている街に設定することが多い。自分の街を舞台に小説を書くと、楽しい。見知った場所で、作中人物たちが会話を交わす。見知った場所が、破壊される。見知った場所が、別の意味を持つ。今日は、冒頭で主人公二人が邂逅する町中華に昼飯を食べに行くことにした。

 主人公は、「町中華で最も美味しいのは、かたやきそばだと決まっている」と思っている。私も、それは否定できないなと感じているので、その店でかたやきそば以外をまだ頼んだことがない。店の前に3人の人間が立っている。そうだった、私が今日会社に行かなくていいのは今日が祝日だからだ。私の住む街は観光地で、それも日帰りで訪れやすい場所にあるものだから、こうした日には街が人で溢れかえるのだった。一人ならしばらく待てば入れるだろうかと列に加わる。団体客が親切で、「一人席が空いたら先にこちらさんを通してあげて」と店主に提案して、私は先に店内へ通されることとなった。かたやきそばを頼んだ。

 入口の引き戸に嵌められた磨りガラスを見ていると、ついヘビクイワシの女がそこに佇んでいるのではないかとそわそわしてしまう。実際には店は道路から一段高いところへあって、磨りガラスの先に見えるのは先ほど順番を譲ってくれた団体客らの頭の一部だけだった。かたやきそばは記憶していたよりも量が多く、これは私がここ二ヶ月ほど食欲を失っていることと関係しているのかもしれなかった。

 ふらふらと家路につき、コンビニへ寄る。無性にオレンジジュースが飲みたくなるときがある。パックのそれと、アイス売り場にブドウ味のパピコが積まれているのを見て、一袋掴む。橋があり、その下に比較的汚染されていない川が流れている。この橋は、ヘビクイワシの女が欄干に飛び乗ってやじろべえのようにゆらゆらと揺れていた場所で、私はパピコを咥えながら橋に凭れかかって川を眺めることにした。遠くの方で工事をしているようで、太い男の叫び声が上流から流れてくる。鷺がいた。鴨も二羽。鷺は川の中央に出っ張った大きな岩の上に、一本足でじっと佇んでいたが、徐ろに羽を伸ばし、その後勢いよくバサバサと着水した。水浴びをし、満足したのかゆっくりと川底を踏みしめながら一歩一歩岸の方へ近づいていく。やがて川べりへ上がって動かなくなった。今日は天気が良い。11月とは思えない暖かさで、適当に選んだ服では少し汗ばむほどだった。今日は特にすることもないし(なんて素晴らしいのだろう)、せっかくだから作中に登場させた場所を歩いてみることにする。海へ出ようと思った。

 一度家へ帰る。日光を浴びすぎると体調が悪くなるため、帽子を被り、少し涼しい服装に着替え、本とブルーシートを持って再び家を出た。昨日から部屋に紛れ込んでしまったと思しきコオロギの鳴き声が部屋の中に響いていたが、場所を特定することができなかったため諦めた。珈琲が飲みたくなったので、商店街の方へ出て水出しアイスコーヒーをテイクアウトした。昨日も購入したのだが、私の記憶が正しければ昨日よりも70円値上げしていた。観光客価格、ということだろうか。

 真っ直ぐ歩くと海へ出る。作中では、二人は大通りのど真ん中を人力車で、海を超え月まで驀進するのだが、私は、同じ海へと至る道でも裏の通りを歩くほうが好きだった。子供の靴の片方、銀木犀、回収されないままのゴミなどを発見し、ひたすら海を目指して歩いてゆく。この道を通るのはいつも決まって夜中だったから、周囲が明るいというだけで新鮮な心地がする。果物屋の奥に水平線が見える。ここの果物は、食べたら戻ってこられなくなるんじゃないかな、と思っている。

 夜の黒々とした海しか知らなかったが、昼間だと人がたくさんいる。犬もいる。砂浜の一画にブルーシートを敷き、アイスコーヒーのカップを砂浜に挿し、靴を脱いで腰を下ろす。本を取り出し、胡座をかく。そうしていると、どうして家の床には凹凸がなくまっ平らなのかが不思議に思えてくる。砂は柔らかいようで硬く、体重をうまく分散してくれるのか、あまり疲れないように感じる。荒川修作はやっぱりすごいな、などととりとめもないことを考えながら、ちびちびとアイスコーヒーを啜る。少し離れたところに、私と同じようにしてシートを敷き寝そべっている男性の二人組がいた。そのまた遠くには、キャンピングチェアに腰掛けながら焚火にあたる夫婦、バケツで砂の城をつくっている幼い少女とその父親。海にはサーファーやヨット、遠くの方にも人影。海面に立っていたり、座っていたりする。最近は、SUPというのが流行っているらしいが、遠目には独自の漁を行っているようにしか見えず、眺めているとなかなか面白い。日は既に傾いていて、海に橙色をした光の道をつくっている。二人は夜にここへやってきて、月光でできた道、ちょうど今見ているような、天体へと通じる光の道を伝って月へと至ったのだなと納得する。これでは確かに月まで到達してもおかしくはない。

 波の形は寄せて返すたびに変化しているし、人間たちは絶えず動いているのでいつまで見ていても飽きない。空にヘリコプターや鳥の影。雲の形も一秒たりとも同じではない。本なんて必要なかったな、と思う。試しに数ページめくってみたが、目の前の光景に気を取られて中身が入ってこない。学生時代、友人と夜の公園で満月が動いていくのを眺めていたら、そのまま夜が明けてしまったのを思い出した。会話は殆ど交わさず、二人してひたすらベンチに腰掛け上を見ていたら、周囲が明るくなっていた。あるいは、交通量調査のアルバイトでひとところから動かずに通り過ぎる人々を観察していたとき。自然の中にいると、人間は時間がゆったりと流れているように感じるのかもしれないが、実際は海や空ほど目まぐるしく動き続けているものはなく、それがとても不思議に感じる。だが、労働している時とは全く異なる時間がそこに流れていることは体感できて、どうしてこんなにゆったりとした街で私たちはせかせかと働いているのか、常々奇妙なことだと感じる。天体の動きは意外なほど速く、日が落ちていくのを見れば、普段そのようなことを意識していなくても、その異常なスピードに気が付けるだろう。つるべ落としがどうとか。よく言ったものだなと思う。海にいる人たちは、それぞれ言葉を交わすことはあまりないが、それでも同じものを見ていることが多く、奇妙な連帯感があって心地よい。以前海へやってきたときは、月食が起こるという日だったがそのときも皆、砂浜に立ち空を見ていた。生憎、曇りがちで月食は全く見えなかったのだが、見えないものを皆で見たという体験が、なんだかとても強く印象に残っている。日が落ちかかり、その方角を皆が向いていた。海の中にいる人も、焚火をしている夫婦も、砂浜にいる者が皆、空を見上げ、日が落ちてゆくのを見届けている。スマートフォンを構える人もいた。スマートフォンが発明された今でも、自然の方が何より面白いというのは本当にすごいことだと思う。砂の城をつくっていた父娘が日の入りとともに帰路へついた。太陽が消えると明らかに人の影が減る。気がつくと、「帰りたくねー!」と叫びながらシートの上をごろごろしていた男性二人組の姿も消えていた。光る首輪をつけられた犬が散歩している。フリスビーが投げられ、それを空中でキャッチしていてすごいと思った。私にはできないだろう。近くに柴犬が寄ってきて、砂を蹴り上げた。急いでコーヒーを避難させる。幸運にもカップの中身が砂まみれになることはなかった。飼い主らしき女性が近づいてきて私に謝っている。その後、「ダメでしょ、ちゃんと後ろを確認してから蹴らなきゃ」と犬に対して説教をしていた。

 日が落ちてくると流石に肌寒く、今度は炬燵でも持ってこようと決意する。一番星が出たので星の名前を確認する。これが金星か、という発見がある。二番星、三番星は木星土星だった。ここのところ忙しく体調は崩しがちで、心拍数が全く下がらなくなったり酸欠になったりと散々だったが、海を見ているとそういうのはかなりどうでもよくなってくる。おそらく私はここに一日中いても飽きることはないのだろうという確信が出てきて、それが「まあ、なんとかなるな」という漠然とした自信に繋がり、海はかなり心身に良い気がする。家の中だけでなんとかしようとしていたが、外へ出て、なるべく一人で、目まぐるしく変化するものを眺めながらぼんやりすることが必要だったのだ、という気づきがあった。繰り返していた時間の外側に一度、出なければならなかった。大丈夫になった気がしたので、帰ることにした。シンクに洗い物が溜まっているのも、家にこれといった食材がないのも、二ヶ月ほど自炊を全くできていないのも、なんとかできそうな気がしたので、スーパーにでも寄ろうとしばらく浜辺を歩いた。河口へ出た。私が昼間に見ていた川が、海へ至ったのだと気付いた。砂浜は水で遮られ、向こう岸へ渡るのは難しそうだった。橋が架かっていたのでそこへ向かった。気が付かないうちに靴の中に砂が入り込んでいて、足の指をこすらせるとじゃりじゃりとした感触がある。橋へと登る階段を一段一段進んでいくと、砂に靴を埋めるふかふかとした感触が次第になくなっていき寂しい。橋の中央へ出ると眼下に川があり、その先で海と混ざり、さらにその先に金星があった。鷺が一羽、川と海と金星と、そのすべてを繋ぐ中間地点に佇んでいた。空があまりにも暗く、カメラには映らなかった。

 海を離れ、一本道を歩いているとたまたまスーパーを見つけた。いつも使っているところより少し安価な気がする。気がするだけかもしれないが、そういうものなので味噌汁に入れる野菜と、麻油鶏の材料を買った。レジに日本野鳥の会の募金箱が置いてあって、表面に卵の柄がプリントされており、下部に小さく「タンチョウの卵原寸大」と表記されていた。鳥好きしか喜ばない情報だな、と思いながら百円玉を募金した。

 帰宅して、まだ家の中でコオロギが鳴いている。高いところから降りてこず、捕まえられないので外へ出してやることもできない。洗い物を片付けた。シンクは詰まっていて、フィルターを替え、ドロドロとした何かを取り除いた。しばらくすると、料理のできる環境が整って、生姜と手羽先を火にかけた。麻油鶏が私は大好きで、それを飲むたび「こんなに少ない材料で、こんなに少ない調理工程で、なぜこんなに旨味が出るのか」と新鮮に驚いてしまう。この家に引っ越してきて、初めにつくったのも麻油鶏だった。何かをリセットするときに食べるものとして身体に染み付いているのかもしれない。食器を片付け、紅茶を淹れた。まだ、部屋に足の踏み場は殆どないが、台所が回復すれば、なんか大丈夫な気がしてくる。明日は早起きだし、取引先の本社へ出向かなければならないが、それもなんとかなるような気がしてきた。こういう日は、さっさと寝るに限る。

 

はるさめ

 ケイちゃんが引き戸をガラガラと開けたら同時にざーざー降りになって、黄色いつるんとした長靴についた水滴とか真っ黒な土とか見ながら、さと子さんは「ようきたね、ひどい雨。寒くない?」と声を掛けて、ケイちゃんの背負ってた真っ黒なランドセルをタオルで優しく拭いてくれた。もう何人かやってきてて、アオちゃん、レンくん、カスミさんなんかのいつものメンツが机を向かい合わせにして宿題やってる。コロナだからあんまり密になってたらさと子さんが「おら〜散らばれ〜〜!」と言いながら机を一人ずつズズーと離してくんやけど、それが面白くてわざと近づいたりしちゃうことある。ケイちゃんは洗面所に向かった。手洗いうがいの習慣がついたのはここ一年くらいで、うっかり忘れてそのままうまい棒食べちゃうこともなくなった。洗面所の窓に雨があたる音がしててうるさかった。リビングに行ったらレンくんは居眠りしてて、アオちゃんはねりけしを大きくする作業に夢中だった。カスミさんは分数をやってて、ケイちゃんがそれを覗き込んだら「ケイもあと三年したらこれできなきゃいけなくなるよ」と言って笑う。そのときはカスミさんに教えてもらうのにと思ってるけど、ケイちゃんそれを伝えたらカスミさんにこっとしたあと黙っちゃった。
 ケイちゃんのママはいまケイちゃんのために頑張ってて、だから放課後になったらきほん家でひとりでユーチューブみるかゲームしてたけどある日ママがケイちゃんのことをここに連れてきて「夜はみんなでここで食べなよ」って言うからそういうことになった。ママは一緒に食べんの?って聞こうかと思ったけどやめた。毎日じゃないよ、火曜と木曜ね。でも、そうじゃない日も遊びにいっていいっぽくて、正直ユーチューブのほうが面白いだろとかおもってるけど、さと子さんやさしいしカスミさんにケイちゃんはなついてたからよく会いに来てる。
 こども食堂本日のメニューはごはんと豆腐ハンバーグとかきたまスープとなんか茹でた野菜に味つけたので、デザートでちっちゃい団子とかもあった。みんな「肉は〜?」って言ってたけど、それはほんとに肉が食べたいとかじゃないから。さと子さんは「えー」って言いながら「めっちゃ頑張って作ったんやもん、残したらデコピンな」って言ってた。長島のおいちゃんもキッチンから出てきて黙ってうなずいてた。長島のおいちゃんは全然喋らんしずっと奥に引っ込んどるけど料理がうまい。豆腐ハンバーグおいしい。なんかオレンジのつぶつぶが見えて、みんなの苦手な野菜めっちゃきざんで入れたんかなと思ったけど、変な味せんかったから気にせずに食べた。ごはん食べ終わって宿題あんまりやる気になれなかったからぷらぷらしてたらさと子さんが話しかけてきた。
「ケイちゃんもうすぐ誕生日やないん」
「あと一週間!」
 両手をバッと広げた。梅雨の季節そんなに好きじゃないだけど、ケイちゃんの誕生日でもあるからあんまり嫌いになれない。あと、教室の窓から空を見たときにお昼なのに真っ暗だったらわくわくするから。こども食堂の窓にも水が滝みたいに流れてる。
「もう何がほしいとか決まってるん」
 さと子さんが腰かがめてケイちゃんのほうじっと見てくる。なんか恥ずかしくなって顔そらしたけど、ほしいものとか考えてなかった。
「あるけどー、あるけどない」
 さと子さんがちょっと黙って「ん」と言って笑った。さと子さんの肩の向こうに窓があってそこから雨がだらだら流れるのが見えて、プレゼントのこと考えながらケイちゃんはるさめのこと考えてた。
「はるさめ」
「え?」
 はるさめが欲しいん?ってさと子さんケラケラ笑ってたけど、はるさめってなんでまたって言われたからケイちゃんちょっと考えて、考えて思い出したことがあった。
「ようちえんのころなー、好きな本があってな、おばけが葉っぱの上に雨をのせたらそれがはるさめサラダになるやつー。ママがよみきかせしてくれたやつ、なんかそれ思い出した」
 さと子さんがちょっときょとんとして面白かった。
「あー、なんやろ。なんか私もそれ読んだことあるかもしれん。トトロの葉っぱみたいなので雨宿りするんやっけ」
「うん、なんかあんまり欲しいもんとかプレゼントとか思いつかんし、ほんとはスイッチとかほしいけどあれなんかダメってママに言われたし、はるさめほしいわけじゃないけどわからんわ」
 雨はちょっと弱くなってたけど、明日もあさっても天気予報は雨で、またママが「洗濯物干せんやん!」って空に怒る季節やなーと思った。その日は八時くらいにママがむかえにきた。
「さと子さんと話すからしばらくあっちおって!」
って言われてアオちゃんのねりけしもらったりした。
 遠くから見てたらママとさと子さんがこそこそ話してて、なに話してんのか聞こえないんだけどなんか笑ったり不思議な顔したりしてて大変だった。ママに呼ばれたから帰った。
 ケイちゃんの誕生日の日はやっぱり雨やって、うわーと思ったけどそんなひどい雨じゃなかった。なんか霧みたいな。空気すったらさむくてママが長そで用意してくれたのちょうどよかった。こども食堂行ったらまださと子さんしかいなくて、
「あ、いらっしゃーい。ケイちゃん誕生日おめでとー!」
って言われた。うれしい。なんか黒いのを削ったら虹色で絵が出てくるやつもらった。なにかいてるんって言われたけど、あじさいって答えるのなんか恥ずかしかった。
 今日はあんま食べすぎちゃダメやからってケイちゃんだけごはんすくなめにつがれてマジ意味わからんかったけどちょっと苦手な酢豚やったからゆるした。食べたらすぐママきて、え、はやくない?ってなった。まだ七時やもん。ママ、
「先週はどうもありがとうございました」
ってめっちゃ深いお辞儀してて、マジ意味わからん二度目やんって思った。さと子さんもなんかすごいにこにこしてて、
「ケイちゃん本当にお誕生日おめでとうね」
って。
「じゃ行こうか」
ってママが家と反対のほうに歩きだしてマジ意味わからん三度目やったんやけど、手つないでたからだまってついてった。
「これはね、フキっていいます」
 ママがそのへんの草むらにしゃがんで言ってて、ケイちゃんもしゃがんだらトトロの葉っぱやった。この小ささじゃ雨宿りできんなって思ったけど、ママがそのなかで大きいやつをハサミでちょきんと切ったからケイちゃんも切った。それで一緒に家帰った。あるきながらママが「ケイありがとう」って言ってて、なんでありがとうなんかマジ意味わからんかった。
 家帰ったらフキを水で洗って、ママがビニール袋からガサゴソってそうざい取り出した。ママの働いてるスーパーのやつやって、
「これママが作ったんやけどもらってきたんよね」
って言いながらフキの上にはるさめサラダ盛りつけてた。
「ほんとはNintendo Switchほしいやろ、もうちょい待ってな。予約取れん。高いし。あと、ケイやりすぎてバカになりそうやからまだダメやわ」
 ママは慣れた感じでスポンジケーキ出してきて、ケイちゃんにホイップクリーム塗らせた。いちご乗せて完成。雨からできたはるさめサラダとお誕生日ケーキがテーブルに並んでて変なメニューやった。
 梅雨やっぱあんま悪くないなって思った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらは「こども食堂・梅雨・誕生日」という単語を3つお題としていただき、執筆したものになります。