コインランドリーで失踪

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水が落ちることについて

春の嵐を見ていた。
どうすれば近く、自分の、自分を見つめる自分、絶えず自己批判を繰り返す自分を切り離して、頭に浮かぶものをすべて書き出してゆけるのか。
手書きの文字のあのこそばゆさはなにか、いつから自分を自分で監視しているのか。
千葉雅也の現代思想入門を読んだ、こうした本がほしかった。入門書の入門書。新たなる古代人という話は面白かった。
某人から突然短歌が送られてきた。とても良かった。美しい歌だった、喉がこそばゆい感じ、心がはねている。春の雨、冷たさ、言葉で感想を伝えることはこんなにも難しく、むしろ何も言わないでおいたほうが良いのではないかとすら思ってしまう。自分にすら秘密にしておきたい歌の良さを感じている。分析を、解体を、していくのではなく、純粋に、よろこびをもって、作品を味わうこと。豊かさとは何か、SNSから離れる贅沢を思う、しばらくSNSに流れる感想を見ることを控えようかと思う。藤本タツキの新作が公開されたらしい。ルックバックにも雨の描写があったなと思い出す。恵みの雨。ああした雨について最近は考えている。ひらやすみのヒロトくん、水槽の暗さ。水、水について考えている。春だから、漫画の見開き1ページの美しい絵画たちについて考えている。ひらやすみ2巻の見開きについては、早く印刷をする必要がある。A3で、ネットプリントをしようと思う。おなかがすいてきて、いつも何を食べるべきかで困っている。何も食べたくないのだが、せっかく食べるのであればその期に及んでは味気ないものを食べることができない。贅沢なのかもしれない。祝祭。大安吉日。ちゃんとしている。歌に込められた色彩で。黒と赤で。死人の婚礼、道端に落とされた亡き娘からの手紙を連想する。それは。私が勝手につなげているのだと思う。私が私の記憶の中から勝手に星座を繕っている。豊かであること。逸脱をすること。出口。出口を探している。現代思想入門を読んだ印象としては、哲学は出口を探している。現実界というのは原典だと感じる。それをあるがままに見ること、発狂を伴う作業。「あるとは別の仕方で」ということ。言葉の表面にだけ触れていて、その意味するところを初めて知った。うれしい。本を読むと文字がいっぱい並んでいると嬉しい。そこには秩序があるからなのだと思う。私にはエクリチュールのほうが愛しやすくて、いつも話される言葉の間には距離がある。すぐに、本で使われていた言葉を使う。とてもとても長い旅路でした。売店でアイスクリームを食べた。旅が続くので食べたのです。そこは、青々としたライトが宙吊りになって清潔な白い枠の窓ガラスを照らしていて、なんだかあまり美味しくなさそうに見える。アイスがつめたくて、余計に寒々しい。それに、完璧に隙のない、コスチューム姿の化粧をばっちりと決めた女が(その後、デートでも予定していない限り、アイスの売店の軒先で、そんなに美しい顔をさらすことはないと感じるほどで)、けだるそうにアイスをみちみちと容器へつめる。とても固い、半球ではない、容器の形そのままにアイスクリームが詰まっている。さて、あなたはどうする? 雨に私の顔は映っているのだろうか。一瞬のことだから見逃しているだけで、この世の雨のすべてが、その粒の360度周辺をうつしとっている、そうしたら、そうであればきっと写したものの数だけその身が重くなって、ついには地面に激突する。跳ねて抵抗する、せめてもの、弔い。雨に紫煙。もや、きり。それらはすべて、弔いをやっている。どうしても、伝えなければならないことがなくて、なかったために青年は転び泥まみれとなって、手紙はただ雨をしとしと、吸収したそばから真っ黒なインクが柔らかく、ねぎらうように溶かされていき、こうしたときには雨の延命がなされたといってもよい。雨の延命はいたるところで、それでも雨は朧気でいつ消えてもおかしくないものであるから、いまはアイスクリームのカップに、神経質なことにそのカップは真四角の形をしていて、そこへ雨がただ、ざあざあ、はじかれながら、ざあざあ、かたさはなく、不快な湿り気。カップから少しずつ雨が濾過されてゆき、それは雫と呼ばれるものになり、そこでようやく、女が、退屈そうに見上げる雲の上。実際彼女は、空ではなく。雲、そしてさらにその先に雨を降らす何者かがいるように感じていて、そいつを睨みつけている。ちょうどそのころ睨まれていたのは快晴のなか順調にフライトする旅客機で、そこでは雲海を見、そこに降り立つことさえできればという考えでヘッドフォンを耳に当てている人の群れ。地震があったとして。そこから花壇のほうへと出ました。だって、川の様子は見に行くべきでないにしても、私の庭。その庭は、私に確認してもらう必要があるものなのです。相変わらず、洗濯竿が錆びていました。錆びて空いた穴に、子供らがいれたと思われる、砂。砂、砂の城。サーと音を立て、砂の上へ書いた文字はすぐにかき消された。そういうことなのです。砂の文字がはかないように、そうして移ろってゆくものへ、そのための短冊。流れてゆく竹の節。いずれ、ここに、色とりどりのお弁当をつめて、そのときには呼んでほしいのです。あっさりとしただし巻き卵をつくりましょう。熱は料理の熱だけで十分ですから、ゴボウの土をはやく落としておいてくださいね。飛べません、飛べないのです。それでも大丈夫ではあります。いえ、大丈夫です。無理をしているわけではありません、私は鳥で、鳥だからこそいま飛べないということへ安堵している。私は過剰性を注入された、私は鳥としては失敗作の烙印を押された存在でいつも群れの最後から3番目ほどを飛んでおりました、しんがりをつとめるのはその、優秀な鳥である、ものですから。確かにありました。それは春の嵐です。よくあることでしょう。私たちは離ればなれにならないよう、精一杯叫びましたが、ええ、鳥が叫ぶのはそういうためです、それでも嵐が冷たい雨へと変わる頃には、私はこのバーガーショップの生け垣でじっとしていたというわけでして、そこへ群れの皆は一羽たりとて見かけなくなりました。鳥はそういうこともあって、群れであれば群れで、ひとりになればもうそれはひとりです。さて、とポテトをついばむのですが、どうにもそれでは飛ぶことができない。けれど、ポテトをついばむこと以外に、鳥にとって大切なことってあるのでしょうか。若い皆様にはぜひともそのあたりを検討していただきたい。ありがとうございます。一度もミスタイプせず書ける「ありがとうございます」。これからどうやって、鳥をしていこうか。本当はこんなところにはいたくないし、もっと自分と距離を置きたいと思っている。

この文章はなんだ。これを私にどうしろというのか。私の打鍵の快楽だけにうち捨てられる文章なのか? そんなことが許されるとでも思っているのか? 外の世界に、何かあったとしてどうするつもりか。出口は見つけなければならない。しかし、その出口を使うことは正しいと思えるか。ある学会報告にて発表されたように、自由ではない、出口を探さなければならないのだ。朝、4時になって、ひとが、換気扇をブオンブオンと鳴らしながら生きているということ、雨の恵みを得、大変にめでたい状態にあること。娘は殺されてしまったのでしょうか、ご検討ください。
さあ、いつも、春で、眠りに落ちていて、頭を覚醒させておきたい。いつも私の脳は寝ていて。仕事のときは、オートモードでの迎撃となるため、頭の覚醒した自分は裏で控えている。おそらくはずっと出てこない。陳列台のメロンパン。セブンイレブンのメロンパンが一番美味しい。そうでもしなければ覚醒した脳に依頼をするのは難しい。以後、気をつけるように。そこで働いているあなたと、いま寝そべって無垢の思惟へおり、たすけをださないあなた。そうだ、あなたが働いているわけではないとしたらどうだろう、貸しているだけだ。危険かもしれないが、あなたはあなたを貸しているだけ、ゆめゆめあんなもので傷ついたり動揺する必要はない。しかしだからこそそれが、難しい。
花を圧縮した。あとはよろしくおねがいします。よろしくおねがいしますをミスタイプせず書くことができるということについて、大激論。朝、雨、雲、空気の清々しさ。
水墨画を完成させよう最後まで、煙がくゆる、その一瞬のうちに拡大し縮小されるゆがみ、ゆらぎ。その難しさを見届ける。ありがとうございます。あとはよろしくおねがいします。