コインランドリーで失踪

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文体の舵をとれ第六章

アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』の第六章を読んだ。人称と時制についてなのだが、英語と日本語の時制の感覚が異なるからだろうか、あまりピンと来ない箇所が多い。普段は、「〜する」「〜だった」を綯い交ぜにして文章を書いているわけで、それは多分ここで言われている「現在時制」と「過去時制」の話とは違う話なのだろうと思う。ので、この章の練習問題は文体に縛りをつけて書く、みたいな感じだった。正直、これで合っているのかわからないが、訳者註で「単純に〈今〉や〈かつて〉の切り替えがわかるように意識して執筆するだけでもじゅうぶん練習になる」とあるのであんまり神経質にならんでもいいんかな、という感じがする。

 

練習問題6:老女

 今回は全体で一ページほどの長さにすること。短めにして、やりすぎないように。というのも、同じ物語を二回書いてもらう予定だからだ。
 テーマはこちら。ひとりの老女がせわしなく何かをしている――食器洗い、庭仕事・畑仕事、数学の博士論文の校正など、何でも好きなものでいい――そのさなか、若いころにあった出来事を思い出している。
 ふたつの時間を超えて〈場面挿入(インターカット)〉すること。〈今〉は彼女のいるところ、彼女のやっていること。〈かつて〉は、彼女が若かったことに起こった何かの記憶。その語りは、〈今〉と〈かつて〉のあいだを行ったり来たり(行ったり来たり、に傍点)することになる。
 この移動、つまり時間跳躍を少なくとも二回(少なくとも二回、に傍点)行うこと。
一作品目:人称――一人称(わたし)か三人称(彼女)のどちらかを選ぶこと。時制――全体を過去時制か現在時制のどちらかで語りきること。彼女の心のなかで起こる〈今〉と〈かつて〉の移動は、読者にも明確にすること。時制の併用で読者を混乱させてはいけないが、可能なら工夫してもよい。
二作品目:一作品目と同じ物語を執筆すること。人称――一作品目で用いなかった動詞の人称を使うこと。時制――①〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制、②〈今〉を過去時制で、〈かつて〉を現在時制、のどちらかを選ぶこと。
 なお、この二作品の言葉遣いをまったく同じにしようとしなくてよい。人称や動詞語尾だけをコンピュータで一括変換してはいけない。最初から終わりまで実際に執筆すること! 人称や時制の切り替えのせいで、きっと言葉遣いや語り方、作品の雰囲気などに変化が生まれてくる。それこそが今回の練習問題のねらいだ。

 


①人称→三人称、時制→過去時制
 ネオラダンドまでの道のりは遠かった。彼女は毎日そこで地図を売っていた。ネオラダンドとインガルダのちょうど中間地点。どちらも栄えている街であるとはいえ、どちらへ向かう人間なのか、彼女には一目で見分けることができた。ネオラダンドは戦争――魔王による無慈悲なる侵略戦争の――最前線であった。彼女の目が重武装の男たちを捕らえた。国王は街を兵士たちに護らせていたが、辺境の地とあっては大軍を派遣するわけにはいかなかった。その隙間を埋めるようにして、武力や魔力に自信のあった者たちのなかから、少数精鋭の班を組んで魔物狩りを生業とする者が現れた。
 かつては彼女も、その中の一人だった。青髪のグリンダと言えば、その辺ではそこそこ名の知られた魔導師であったはずだ。彼女は仲間とともに、その人生の大半を戦渦に投じてきた。リーダーのケビンと彼女は恋仲でもあった。ネオラダンドがまだ、少しは平和だった頃だ。ケビンの指揮のもと、彼女たちはしばらくそこを拠点にして、兵士たちが捕らえ逃した魔獣を狩る日々を送っていた。ネオラダンド特産の青い染料。ネビラ織りのケープは、誰もが目を奪われるほどの鮮やかな紺碧で、ケビンが贈ってくれたそれを彼女は最後まで羽織り続けた。
 ケビンは目の前で死んだ。もし、魔法の発動があと少しでも速ければ。彼女が何度そう思ったことか。ケープの青が彼の返り血と入り交じり、複雑な模様を上塗りした。彼女は戦場から去った。
「ばあさん」
 屈強な男が目の前にいた。彼女は最近、過去に連れ戻されることが多くなった。そうでなくても、何度も何度も、嫌でも思い出された記憶なのに。
「その地図くれよ」
 戦士の目をしていた。ちょっとやそっとのことでは折れない強い意志を宿した目。ネオラダンドまで到達する実力があるのだ。ここで見かける戦士たちは皆、強かった。だが、帰ってこられる者はほんの一握り。彼女は、祈るようにネオラダンドとその先――彼女の最高到達点まで――の地図を彼らに渡した。そして、彼らに地図の詳細を詳しく言って聞かせた。彼らは、老いぼれの話を遮るでもなく熱心に顔を近づけた。情報の有無が命取りになることをしっかり知っている、聡い者たちだった。
 彼女は、最後に魔法をかけた。せめてもの祈り。葬送の老婆がおくる、死者を呼び戻すための。彼らにケビン、そして儚くも散った数多の戦士たちの加護があらんことを。真っ青な慈悲の炎が彼らを包んだ。

 


②人称→一人称、時制→〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制
 ネオラダンドまでの道のりは遠い。私は今でも毎日、そこで地図を売っている。ネオラダンドとインガルダのちょうど中継地点だ。私には、どちらへ向かう人間なのか一目で見分けることができる。ネオラダンドはいまや戦争――魔王によるあの無慈悲な侵略戦争――の最前線だ。重武装の男たちがやってくるのが見える。彼らはきっと、ネオラダンドへ向かうのだろう。国王は街を兵士たちに護らせているが、辺境の地まで大軍をやることはできない。その隙間を埋めるようにして、武力や魔力に自信のあった者たちが、少数精鋭の班を組み、魔獣狩りを生業としてきたのは、もうとっくの昔からのことだ。
 かつては私もその中の一人だった。青髪のグリンダといえば、きっとそこそこ名の知られた魔導師であったはずだ。私は仲間とともに、人生の大半を戦渦に投じてきた。だが、その中でも楽しいことはあった。リーダーのケビンと私は付き合っていたし、まだネオラダンドは美しかった。ケビンの指揮のもと、私たちはしばらくネオラダンドを拠点にして、兵士たちが捕らえ損ねた魔獣を狩る日々を送っていた。そんな最中、あまり贈り物をしない彼がくれたあの青いケープ。ネオラダンド特産の青い染料。ネビラ織りのケープは誰もが目を奪われるほど美しい紺碧をしていた。私はそれを、最後まで羽織り続けた。
 ケビンが倒れる光景は、今でも鮮明に目に焼き付いていた。もし、魔法の発動があと少しでも速ければ。私が何度そう思ったことか。ケープの青が彼の返り血に上塗りされた。私はそれを見て、戦場から去ったのだ。
「ばあさん」
 屈強な男が目の前にいる。さきほど見かけた男たちだ。最近、過去に連れ戻されることが増えていていけない。そうでなくても、何度も何度も、嫌でも思い出された記憶なのに。
「その地図くれよ」
 戦士の目だ。ちょっとやそっとのことでは折れない強い意志を宿した目。ネオラダンドまで到達する実力があるのだ。ここで見かける戦士たちは皆、強い。だが、帰ってこられる者はほんの一握り。私は、祈るようにネオラダンドとその先――私の最高到達点まで――の地図を彼らに渡す。そして、彼らに地図の詳細を詳しく言って聞かせる。彼らは、老いぼれの話を遮るでもなく熱心に顔を近づける。情報の有無が命取りになることをしっかり知っている、聡い者たちだ。
 私は、最後に魔法をかける。せめてもの祈り。数えられないほどの戦士を見送ってきた私が、死者を呼び戻すための。彼らにケビン、そして儚くも散った数多の戦士たちの加護があらんことを。真っ青な慈悲の炎が彼らを包んでゆく。

 

 

問題文が長いて! 最初、「人称や動詞語尾だけをコンピュータで一括変換してはいけない。」と書かれているのに「そうだよね〜」と思いながら無意識でコピペして修正してしまい、あとから気づいて②を全部書き直した。書き直すうえで、文章が一致する箇所もあれば、わりと変化する箇所もあって面白かった。「〈今〉を過去時制で、〈かつて〉を現在時制」を選択したほうが難しかったのかもしれないと思いつつ、易きに流れてしまった感じがある。あかん。

これは悪口になるかもしれないのであんま書かん方が良いことだとは分かっているのだが、文章が下手な人が小説を書くとき、なぜかやたら回想を入れたがるのはあるあるだと思っていて、たぶん人間が小説を読んでいるなかで「これかっけー!」と最初に思うテクニックが「回想」であることが多いのだと思う。私も別に回想が得意なわけではないのでこういうこと言ってわざわざ首を絞めることはないんですが……。なんか、それだけよく使われている技法のわりに、実際にやろうとすると意外と難しくて奥が深いということなんですかね、今すっげー浅いこと言ってるな。