コインランドリーで失踪

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文体の舵をとれ第五章

アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』の第五章を読んだ。この章は5ページしかない。テーマが簡潔性なので、章も簡潔にしたのだろうか? 普通にありえるのが怖いところだ。主張も明確で、かつ強度がある。良かった箇所を引用する。

物語内で〈ともかく〉起こることなどない。自分がそう書いたから起こるのだ。責任を果たせ!

 

練習問題
 一段落から一ページ(四○○~七○○文字)で、形容詞も副詞も使わずに、何かを描写する語りの文章を書くこと。会話はなし。
 要点は、情景(シーン)や動き(アクション)のあざやかな描写を、動詞・名詞・代名詞・助詞だけを用いて行うことだ。
 時間表現の副詞(〈それから〉〈次に〉〈あとで〉など)は、必要なら用いてよいが、節約するべし。簡潔につとめよ。
 本書を複数人で用いている場合、自宅で課題に取り組むことをおすすめする。今回はむずかしい上に、それなりの時間がかかるからだ。
 現在、長めの作品に取り組んでいるなら、これから書く段落やページを今回の課題として執筆してみるのもいいだろう。
 すでに書き上げた文章を、磨いて〈簡潔に〉仕上げるのもよい。それも面白そうだ。

 

『異界觀相』に掲載した小説の一節を書き換えてみた。最初に引用した文章が元から説明的文章に近くて、思ったより書き換えできる箇所が少なかったので、もう一つやってみた。書き換え箇所を太字にしている。

 

 

「わたしはエミュー」、『異界觀相vol.2』より

〈書き換え前〉

 その日、青い火球が天上へとのぼってゆくのをエミューたちは見た。青い火球は五秒ほどまばゆい光を発しながら力強く上昇してゆき、天球に一筋の白線を描いた。光が消え、夜空が再び静寂に包まれたのち、エミューたちは悟った。新しい夜明けが、新しい太陽がやってくるのだと。
 ウォー、ウォー。ボンボンボンボン……。火球が観測されたのは日本国関東地方周辺、二十三時半ごろのことだった。関東のエミューたちがにわかに騒がしくなると、ざわめきは大地に浸透し、やがて大きなうねりとなって地表をなぞり、広がっていった。火球の観測直後、上野動物園エミュー展示ゾーンでは、何度も何度も鉄柵を蹴り上げるエミューたちの姿が目撃されている。たまたま居合わせた飼育員が増援を呼び対処したことで脱走は免れたものの、エミューたちは外に出られることを確信しているかのような動きで、同じ場所を執拗に蹴り続けていたという。元来エミューは人間に対して攻撃的ではなく、屋外で飼育されることが多い。掛川花鳥園で屋外飼育されていたエミューは跳躍した。飛び越えられない高さに造られたはずの柵を、助走をつけることで悠々と飛び越えてみせたのだ。一羽がそうすると、他のエミューたちも真似して次々に跳躍した。エミューたちは散り散りになって、それぞれの方角へ去っていった。秋吉台の山道を運転中、突然三羽のエミューが駆け下りてくるのをキャンパーが目撃している。秋吉大自然動物公園サファリランドから脱走してきたエミューたちだった。エミューは最大時速五十キロメートルで走ることが可能である。キャンパーはすんでのところでハンドルを切り衝突を回避したが、状況によっては大事故に繋がりかねなかった。そうしたことが、全国各地で同時多発的に発生した。地上のエミューたちは我先にと動物園から、花鳥園から、牧場から脱走した。あとには目的を失った柵だけが残された。(786字)

 

〈書き換え後〉

 その日、蒼白の火球が天上へのぼってゆくのをエミューたちは見た。それは五秒ほど閃光を発しながら上昇してゆき、天球に一筋の白線を描いた。光が消え、夜空が静寂に包まれエミューたちは悟った。夜明けだ。真の太陽がやってくるのだ。
 ウォー、ウォー。ボンボンボンボン……。火球が観測されたのは日本国関東地方周辺、二十三時半ごろのことだった。関東のエミューたちが騒然として、ざわめきは大地に浸透し、うねりとなって地表をなぞり、広がっていった。火球の観測直後、上野動物園エミュー展示ゾーンでは、荒ぶったエミューたちの姿が目撃されている。居合わせた飼育員が増援を呼び対処したことで脱走は免れたものの、エミューたちは外に出られることを確信しているかのような動きで、鉄柵の同じ場所を蹴り続けていたという。エミューは人間に対して攻撃的ではなく、屋外で飼育されることが多い。掛川花鳥園で屋外飼育されていたエミューは跳躍した。飛び越えられない高さに造られたはずの柵を、助走をつけ飛び越えてみせたのだ。一羽がそうすると、他のエミューたちも真似して越境したエミューたちは散り散りになって、それぞれの方角へ去っていった。秋吉台の山道を運転中、三羽のエミューが駆け下りてくるのをキャンパーが目撃している。秋吉大自然動物公園サファリランドから脱走してきたエミューたちだった。エミューは最大時速五十キロメートルで走ることが可能である。キャンパーはハンドルを切り衝突を回避したが、状況によっては大事故に繋がりかねなかった。そうしたことが、全国各地で同時多発的に発生した。地上のエミューたちは動物園から、花鳥園から、牧場から脱走した。あとには目的を失った柵だけが残された。(716字)

 

 

「托卵」、『異界觀相』より

〈書き換え前〉
 練り辛子を餡に溶かす。伊地知はこれが下手で、場所によって辛さにムラができてしまう。少しふやけた麺ともやしを一緒に口元へ運ぶ。そこで、ふと何か派手なものが視界をよぎった。顔を上げるとちょうど店のガラス戸の奥に女が立っているのが見える。白と黒で構成された女。伊地知はしばし見惚れた。顎のあたりまで伸びた髪は灰色がかった白で、毛先に向かうほど深く黒く染まってゆく。百合の花びらのような純白のワンピースから、黒いレギンスに包まれた華奢な脚が覗いていた。まばたきをするたび、橙の化粧で彩られた長い睫毛が艶めかしく揺れる。
 水塗り絵の美人画の、顔にあたる箇所だけにさっと筆を走らせ、色を与えたような。伊地知は「美人も街中華に来るんだな」と偏見塗れの感想を抱いた。
 こんこん、女がガラス戸を叩いた。満席ではないのだから、勝手に開けて入ってくればいいのに。ちらりと後ろを振り返った。厨房ではコック帽を被った老人が忙しなく中華鍋を振るっている。客人に気付いている気配はなかった。店内を見回しても、入口に注意を向けている者は他にいないようだ。仕方なく、伊地知は割り箸を置いて席を立ち、引き戸をガラガラと開けた。(495字)

 

〈書き換え後〉
 練り辛子を餡に溶かす。伊地知はこれが下手で、場所によって辛さにムラができてしまう。ふやけた麺ともやしを口元へ運ぶ。そこで、何かが視界をよぎった。目を奪われる何かが。店のガラス戸の奥に女が立っていた。白と黒で構成された女。顎のあたりまで伸びた髪は灰色がかった白で、毛先に向かうほど漆黒に染まりゆく。百合の花びらを思わせる純白のワンピースにレギンスは黒足先にまで力強さとしなやかさが漲っている。まばたきをするたび、橙の化粧で彩られた睫毛が揺れるモノクロームの水塗り絵、顔だけに細筆を走らせ、色を与えたかのような。
 伊地知は見惚れ、「美人も街中華に来るんだな」と偏見塗れの感想を抱いた。
 こんこん、女がガラス戸を叩いた。満席ではないのだから、入ってくればいいのに。後ろを振り返った。厨房ではコック帽を被った老人が中華鍋を振るっている。必死の形相で、客人に気付いている気配はなかった。店内を見回しても、入口に注意を向けている者は他にいない。仕方なく、伊地知は割り箸を置いて席を立ち、引き戸をガラガラと開けた。(452字)

 

 

これは、推敲に良い指標だなと感じた。初稿が終わって、どこを削るか、あるいは言い換えるかを考えるときに。文字数も微々たるものだが減っている。また、自分ではいつも形容詞や副詞をつけすぎてしまっていると思いこんでいたが、予想していたより取り除くべき箇所が少なくて拍子抜けしたのも意外な発見だった。英語の形容詞・副詞と、日本語のそれは微妙に違うので、これが「修飾語句をすべて抜いて」という課題だったらやばかったと思うけど。
ル=グウィン先生が「今回はむずかしい」と書いているので、難しく感じなかったことが何かの引っ掛けなんじゃないかとビクビクしている。私がド派手に形容詞や副詞を見落としまくっているとか、有り得る話だ。